評論家を信じてはいけない理由

皆さんは評論家という言葉を聞いて、どのような印象を受けますか?評論家と聞くと、専門的な知見をもった権威性のある偉い人といった印象がある一方で、無責任に好き勝手言っているだけで何もしていない。といったネガティブな印象もあります。

捉え方は人それぞれでありますが、皆さんは評論家の仕事を理解しているでしょうか。評論家とは「難しいことをわかりやすく教えてくれる役割」を仕事として担っています。例えば、うどんしか食べたことがない方は、ラーメンという食べ物をみても、ラーメンという食べ物を客観的に見ることができません。また、目の前で初めてのラーメンを食べたとしても、第三者に向けてわかりやすく言葉でラーメンの説明をすることが出来ません。そんなとき、料理の評論家がいれば「このラーメンはココにこだわっています」「世の中全体では〇〇が流行っている中で、このラーメンは〇〇のポジションを取っています」とわかりやすく説明してくれます。このように客観的にいろいろなラーメンの説明をしてくれる評論家はモノごとをわかりやすく、端的に話してくれるので、非常に存在価値が高いと言えます。

そこで皆さんに少しイメージしていただきたいことがあります。
「あなたは、仕事場において評論家的な姿勢でモノごとを話していませんか?」

少しドキッ!!とした方もいらっしゃるかもしれませんが、仕事においては評論家姿勢でモノごとを見て判断し、指示を出すことは、確実に辞めた方がいいと言えます。そして、このスタンスをとっている方に限って、自分は仕事ができると勘違いしてる方が多い傾向にあります。
 

結果からモノごとを語るのは簡単

リスクや責任を取って挑戦している人間からすると、外野からあれこれ言われるのは非常にストレスがあります。そして、より良い結果を出す為に、行動していく過程では「成功・失敗」の繰り返しであり、必ず上手くいくという根拠はありません。このような状況において、評論家姿勢で仕事をしている方は、上手くいけば上手くいった理由を述べ、失敗すれば、失敗した理由を述べることが出来ます。また、行動プレセスは複数であり、他の選択もあったのでは?といった、仮説と論理をどれだけでも話すことが出来ます。

例)
ある投資家が、競合関係にあるA社とB社の話をしていました。
当時、その投資家はA社を褒めていたが、3年後にB社の時価総額が高くなると「B社は素晴らしい」と言っていた。

このように、起きた結果に対して理屈を付けて話すことは、結果論でしかありません。

無責任な評論家を信じるな

上記に記載したとおり、世の中のあらゆることに対して、常に評論ばかりしている人はいます。このような人に関心を向けては絶対にいけません。起きた結果から、あれこれ言うのは簡単であり、このような人達の話は、ひとつのエンタメとして見るくらいでちょうど良いでしょう。事実は一生懸命がんばっている本人が、1番わかっています。たとえ批判を受けたとしても、事実は挑戦し続けている自分がいちばん知っているのだから、世の中や社内を評論する無責任な意見を参考にしすぎないようにしていくのが良いでしょう。